葛飾区の名称について

葛飾の名称は現在の葛飾区の地域固有のものではなく、葛飾とはもともと下総国葛飾郡一帯の広大な地の総称であった。
この場合の「葛飾」とは、中央付近を概ね現在の千葉県市川市付近とし、北を埼玉県北葛飾郡、西を東京都葛飾区や墨田区・江東区の東部、東を茨城県古河市、南を江戸川区や浦安市付近とする一帯で、古くは万葉集などにもその地名が登場している。
なお現在の葛飾区一帯や江戸川区の付近は近世まで「葛西(葛飾の西部の意)」の名称で呼ばれていた地域であり、現在も東西線「葛西駅」、湾岸線「葛西ジャンクション」、「葛西臨海公園」、警視庁葛西警察署等にその名が残る。
なお明治維新直後には、千葉県市川市から船橋市一帯に新行政庁として「葛飾県」が設置されたこともある。

JAROへの

JAROへの苦情で多いのは、携帯電話関連の広告だという。
昨年の調べによると携帯電話やソーシャルゲームなどを含む「通信」の分野で286件。
そのうち4割を携帯電話の広告が占めており、その数は前年度比で3倍に達した。
数か月前には高速通信サービスの広告表示で、景品表示法違反にあたるとしてKDDIが消費者庁から措置命令を受けたばかり。
紛らわしさ、競争激化による誇大広告、といった点で見過ごせない状況が続いているのだろう。
携帯電話関連のCMはちょっと見ているのがつらいものもある。
これだけ数が多ければ、仕方ない部分もあるのだろうが。

ルチオ・フルチ

ローマ生まれ。映画製作者を志してローマ実験映像センターに学んだのち、イタリア式コメディで名を馳せた映画監督ステーノに師事した。
1959年に”I ladri”でデビューし、1970年代後半までコメディーとサスペンス(ジャーロ)映画で一定の評価を得た。
しかし、生来の反骨気質ゆえに1969年の”Beatrice Cenci”や1972年の『マッキラー』といった娯楽映画の中でカトリック教会を痛烈に批判し、扱いづらい職人監督というレッテルも貼られた。
1979年に南国を舞台にしたゾンビ映画『サンゲリア』を監督したことによってフルチの監督人生は180度変わる。
攻撃的な人体破壊シーンと全編を流れる耳障りなノイズは多くのクリエーターに影響を与え、ジョージ・A・ロメロと双肩を成すゾンビ映画監督、もしくはマスター・オブ・ゴアという肩書きを手に入れた。
日本でも多くのビデオが題名に「ルチオ・フルチの~」と冠して発売されるという、大巨匠なみの栄誉に浴している。
ファンの多くは『サンゲリア』『地獄の門』『ビヨンド』を絶頂期の三大傑作とし、続く『墓地裏の家』『ザ・リッパー』と徐々に衰弱して、以降の作品はことごとく失敗作とする意見が多いが、前述の3作品以外にも今尚カルト的人気を誇る作品も少なくない。
娯楽映画の体を成しながら難解な結末が用意されている事が多く、その点で賛否は大きく分かれる。
作品毎に作風が変化してくるところも特徴的だった。

金光庸夫

大分県生まれ。
高等小学校を卒業後税務官吏となり、長崎税関、福岡税務署長、熊本税務監督局勤務を経て、1908年鈴木商店に入社する。
1913年には大正生命保険(現・大和生命保険)を創設、社長となる。
その他日本火災海上保険(現・日本興亜損害保険)役員、王子電気軌道社長など多数の企業の社長・役員を兼任し、東京商業会議所副会頭や、国際労働会議(1931年)資本家代表も務めた。
また、1920年に立憲政友会公認で旧大分2区から衆議院議員総選挙に立候補し当選、以後当選10回を数える。
一時期政友本党に籍を置いたのち政友会に復帰し、1937年衆議院副議長、1939年阿部内閣で拓務大臣として初入閣する。
同年の政友会分裂に際しては太田正孝・犬養健とともに中立派(金光派)を形成する。