永田町の沿革

地名は、江戸時代初期に永田姓の屋敷が並んでいたので一帯が「永田馬場」と呼ばれたことに由来する。
江戸城に近いことからさらに大名屋敷が建ち並ぶようになり、江戸末期に暗殺された井伊直弼をはじめとする多くの大名屋敷があった。
2003年の旧首相官邸改築工事の際には村上藩内藤家の屋敷跡が発見されている。
明治時代には陸軍省などが置かれていて、当時「永田町」といえば参謀本部を指す言葉であった。
1923年の関東大震災を機に現在の霞ヶ関地区の区画再編が行われ、北大路魯山人が星岡茶寮を借り受け「美食倶楽部」の拠点とし、また都立日比谷高校(当時の府立一中)がこの地の「たばこ王」 村井吉兵衛の邸宅跡に移転してくる。
1936年に国会議事堂が完成すると一挙に政治中枢が集中し、「永田町」は「政界」の代名詞になっていったのだった。